人として生まれてきたことで男女問わず、人前で話さなければならない場面が人生の中で幾度とあります。
学校・職場はもちろんプライベートでも。
話すことが苦手なわたしは、その日が過ぎ去るまでストレスの塊となり、憂鬱な日々を過ごすのです。
大人になると、やりたくないことでも、やらないといけませんよね…。
・社内会議での発表(現状の問題定義や今後の対策など)
・魅力ある企画や商品のセールスプレゼンテーション
・学校のPTAや町内会の集会での挨拶やイベントの趣旨説明
・結婚式(自分・他人)の挨拶またはスピーチ
・葬儀での喪主としての挨拶
などなど
わたしはそもそも表舞台に出るような人間ではありませんが、上記のようなシュチエーションでは人前で話さざるをえない。
「話すだけ」なら誰でもできるが、どうせなら少しでもうまく話したい。
うまく話すということは、相手に自分の思いや意見をしっかり伝えるということで、それが出来ないのでは「話す」ということ自体、まったく意味をなさない。
本記事を書く人は「人前で話す仕事」の方、アナウンサーや司会業・営業職の方などが書くことで説得力があるし、そういう人ではないと意味をなさないのかもしれない。
しかし、話しのプロではない、話すことが大の苦手なわたしのような凡人が必死こいてやってきたことの方が共感してもらえたり、案外お役に立てるのではないかと…(?)
実際に行っていた情けない方法から、正攻法まで。もがき苦しんでアレコレ考えた対策方をご紹介しちゃいます。
話すことがそもそも苦手な人とは
話すことが苦手な人というのは、普段から人付き合いが上手ではない、おとなしい人間が多いのではないか?
そもそも普段から「話す」こと自体を行なっていないのだから、上手に話せるわけがない。
わたしは子どもの頃から口数の少ない方で、小中学生の授業中の時、先生から指され発表しなくてはいけない時も沈黙…。
やっとこさ一言、二言、絞りだす程度…からっきしダメダメな奴。
今振り返ってみても情けなく思います。
子どもの頃は、大人への成長段階。
人前で話すことがまるっきりダメでも許されるが、大人になると「話せる人間」と「話せない人間」では社会での評価は天と地ほど違う。
人前で話せるやつ=人として優れている という評価を与えられる。
実際はそうではないが、得をするのは話せる人間なのは間違いない。
緊張を抑えるためにやっていた情けない事
大勢の人の前で話すことはとても緊張します。
静かな場所で大勢の人がじーーーっと自分を見ている。
そう考えただけで、汗がタラタラ流れ出し、胃が痛くなり、逃げ出したくなるのです。
そうなる原因は「緊張の原因は大勢の人が自分を見ているからだ!」
そう考えたわたしは「その人たちを見なければよいのだ!」しかし、そんなことは可能なのか?
「いや、見てしまうのなら強制的に見えなくすればいいのだ!」と思いついきました。
わたしは運よく?視力が0.1以下と悪く、普段はコンタクトをしています。
人前で話す日はコンタクトではなくメガネを掛け、話すときはメガネを外していました。
そう!こうすれば、ぼんやりとしか周りが見えず、人の目が気にならないのです!(見えないからね)
この方法は残念ながら視力が悪い人限定です。人の見る目が気にならないので多少効果はありました。
しかし、誰かに質問などされても相手が特定できないので、場合によってこの方法は使えません。
正攻法は何度も音読すること
話すのが苦手な人は練習あるのみ。
残念ながらウルトラC的なことなどないのです。
わたしが実際にやっていたことは、例えば会議で述べないといけない事柄はあらかじめ紙面にテキストとしてまとめておく。
ここまでは誰でもやっている事ですが、その書いたものを実際に声を出し読むことが大事です。
これって案外みんなやってないですよね。ボソボソとつぶやくのではなく、何度も何度も声に出して練習する。
それも実際に話すときの声のボリュームで音読する事が重要。
ボソボソつぶやく程度の練習だと、声のボリューム調節が本番では上手くいかず、声が震えてしまったりするんです。
そこでパニクってしまい、最後まで上手くいかず失敗…。情けないのと、恥ずかしさで自分自身が嫌で嫌でしょうがなかった。
音読の効果
そのような失敗を回避するために「音読」は良いです。音読していると相乗効果がえられるのです!
紙面に落とし込んだテキストは「書き言葉」です。
しかし音読することで自然と「話し言葉」になるのです。
そして実際に行われる場所をイメージして、より本番を意識してやることが、当日の緊張を抑えることになるのです。
何度も練習する事で自分の述べたいことも、うまく組み立てられ、暗記もできてしまうのです。(音読サイコー!)
結婚式の挨拶などでは、あらかじめメモを準備していて、それを読めば比較的容易で失敗もしませんが、それだと何となく自分の思い・伝えたいことが、人の心の奥底まで伝わらない印象を受けます。
使い慣れた言葉
実際、わたし自身の結婚式でのこと。
コーディネータの方に
「新郎の挨拶はメモを見ないで挨拶しましょう!」
そう言われ軽く絶望しました。
何度も練習して当日はメモを見ないで挨拶しました。
後に録画したビデオを観るとガチガチに固まっており、決してスマートではありませんでしたが、少なからず相手方のご家族・ご親戚の方には、ありのままの自分をさらけ出し、思いを伝えることができたと思っております。
その時から人前で話すときは、仕事でもプライベートでも、カッコつけない自分の言葉で話そうと。
具体的に言うと普段使ったことのない言葉はできるだけ使わない、背伸びしないということ。よそ行きの自分ではなく、自然体の自分で話す方が相手に伝わります。
(もちろんそれなりの言葉選びは必要ですが)
多少噛んだりしても、気にしないようにしました。
逆に動揺してあせっている姿を見透かされるほうがカッコ悪いし、全然大丈夫「気にしない!気にしない!」って自分に言い聞かせていましたね。
自分が思っているより、他人は自分のことなど興味など持っていません。
逆に堂々と失敗すれば良いのだ!そのくらい開き直り、挑んでみると案外良い結果が出るかもしれませんよ。