クリスマスイブの夜、子どもが寝静まったあと、枕元にプレゼントをそっと置く。
朝、目が覚めた子どもは、サンタさんからのプレゼントを見つけ、幸せいっぱいの笑顔を見せてくれます!
そのとびきりの笑顔は、子どもから親への最高のクリスマスプレゼントではないでしょうか。
こんな幸せな瞬間を得るのは、子を持つ親の特権ですよね…
しかーーーし!
とても素敵な光景に水を指すようですが、そんな年に一度の幸福感に満ちたあふれたひと時も、子どもが成長するにつれ、終わりを迎えるときが来るのです。
- これっていつまでやるの?
- 辞め時っていつなんだ?
- 辞めるにしても、どうやって辞めたらいいんだ?
クリスマスプレゼントはいつまで?
そもそも、サンタからのクリスマスプレゼントはいつまでなのか?
それは各ご家庭で違ってくるでしょう。
子どもがサンタを信じているうちは継続すればよいですが、ある程度の年齢で終えたいと思う親御さんもいるでしょう。
わたしには息子と娘がいて子ども達が成長するにつれ、寂しい気持ちもあるが、いつかは終えなければいけないと思っていた。
わが家は小学6年生まで
ウチは妻とも協議した結果、両者合致で小学生までと決定した。
つまり小学6年生のクリスマスがラスト。
中学生になったらサンタは来ない。
決めたは良いが、さてどうする…。
子どもはサンタの存在を信じている。
今までのプレゼントは自分たち親からだと打ち明けるのは、なんか違う…。
難しい問題だがダラダラと続けるのも嫌だし、小学生で終了と決めた以上、断腸の思いだがキッチリと終わりにしたい。
子どもが納得するような終わり方が理想だが、果たしてそんな終え方ができるのだろうか?
父親のわたしは考え抜き、とある方法で終えることにした。
わが家はどうやって終わりと伝えたのかご紹介。
最後は親子とも涙涙のクリスマスとなった。
プレゼントは玄関に置く派
その前にまず説明したいのは、わが家のクリスマスプレゼントを渡すシステムだ。
わが家はクリスマスイヴの夜20~21時ぐらいに玄関にそっとプレゼントを置いておく。
あとは子どもたちが頃合いを見てそのプレゼントを見つけるというものだ。
子どもたちはサンタがプレゼントを置いていったと思っている。
こういうシステムとなったのは、わたしの友人「ナカムラくん」の好意によって、自然とそうなった。
きっかけは、わたしの息子が5歳のときのクリスマス。
20時を過ぎたころ、ナカムラくんから一本の電話が。
話を聞くと、子煩悩な彼はサンタクロースのコスプレをし、自分の子供に早々にプレゼントを渡したそうだ。(ナカムラ家は手渡し)
サンタのコスプレでプレゼントをもらった彼の子どもたちは大喜び!
ナカムラ家のクリスマスのメインイベントは終了。
けれども、これで終わるのは、なんだかもったいない。
せっかく準備をしたサンタのコスプレ、他の家でもサンタができないだろうか。
そう思ったナカムラくんは、仲の良いわたしへと連絡を取り、代行サンタを提案してくれたのだった。
わたしの答えはもちろんOK!
息子がどんな反応をするのか、多少の不安はあったが、良い思い出になるだろうと提案に乗った。
電話を切り、息子に見つからぬよう外へ出た。
わたし自身もなんだかワクワクしてきた。
12月の寒空のもと待っていると、イプサムに乗ったナカムラサンタが登場。
わたしはナカムラサンタにプレゼントを預け、何食わぬ顔でリビングへ戻った。
ナカムラサンタ登場!
それから10分ほどして玄関のチャイムが鳴る。
「あれ、誰か来た。サンタクロースかな?」
しらじらしく、そんなことをつぶやきながら、息子を促し一緒に玄関に行く。
すると、ほんとにサンタクロースがいるではないか!(ナカムラサンタね)
息子は本物のサンタクロースだと信じ、まるで憧れの芸能人を見るようなキラキラとした眼差しでみつめている!
憧れのサンタからプレゼントをもらい大喜び、というか感動してたね!
(ナカムラサンタは家から見えないところに留めていた、トナカイではなく中古のイプサムに乗って帰って行きました)
ナカムラサンタはその一年のみ。
翌年からは玄関先に置いておくというシステムになった。サンタが置いていったの体で。
中学生になっても息子は「俺はむかしサンタクロースを見た!」と鼻息を荒くして当時のことを思い出し語ることもしばしば。
毎年のクリスマスイブの夜、子どもたちはそれぐらいの時刻になったら「サンタさん来てないかなぁ~」ってな具合で何度も玄関先をチェックしにいくのだった。
サンタさんから届いた「修了証」
そして息子にとってクリスマスプレゼントがもらえる最後の年を迎える。
当時、息子6年生・娘1年生だった。
子ども達はリビングでバラエティ番組を見ている。
頃合いを見てわたしは「お風呂入ってくる」とさりげなく席を立った。
その時点で、すでに下の娘は2、3度と玄関先をチェック済み。
わが家にはキッチンから外への出入り口があり、わたしはそこから、こっそりと外へ出て留めてある車へ向かった。
車には事前に積んでおいたプレゼントが積んであるからだ。
そのプレゼントを持ち出し、玄関の扉を開けて、そ~っと置いた。
セッティングOK!
あとは見つけるのを待つのみ。
数分して下の娘が、また思い出したように、玄関にチェックしにいく。
すると先ほどまでなかったクリスマスプレゼントが置いてあるのを発見!
「サンタさん来てたーー!何か置いてある!!」
と高揚しながら、わたしたち家族がいるリビングへ呼びにくる。
みんなで玄関へ行き、慌ててドアを開け外を見るがすでに姿はない。
玄関には大きなプレゼントらしきものが一つだけ置いてある。
クリスマスカラーの緑と赤の可愛い包装紙に包まれたプレゼントらしきものの上には、娘の名前が書いてあるメッセージカードが。
毎年、プレゼントと一緒にメッセージカードも添えていた。
名刺ぐらいの大きさの紙に「勉強も頑張ってね」とか「食べ物の好き嫌いをなくそうね」とか毎年書いていた。
あくまでもサンタからのメッセージだ。親があーだこーだ言うより、サンタさんのいうことの方が聞くのでは?と親のいやらしい魂胆だ。
「お父さんには優しくね」のサンタからのメッセージは瞬殺で読み終え、興奮しながら急いで包装紙を開けると、お目当のおもちゃが!
娘は、はちきれんばかりの笑顔を見せて喜んでいる。
問題は小学校6年生のお兄ちゃん。
プレゼントらしきものは無い…。
その代わりに置いてあったのがA4サイズの書類を入れる様な封筒。
封筒には息子の名前が書いてある。
明らかにその時点で、息子が期待していた妖怪ウォッチのゲームソフトではない…。
封筒を開けると少し厚めの紙が入っており「修了証」と書いてあった。
その修了証にはこう書いてあった。
親愛なる、〇〇さんへ。
良いクリスマスを過ごしているかい?
驚かせてごめんよ、私はサンタクロースだよ。
ずっと前から〇〇さんの事を見ているよ。
プレゼントを毎年贈って、もう何年経つだろう。
小さい可愛いあの頃からずいぶん大きくなったね、心も身体も立派に成長して私はすごく嬉しいよ。
いよいよ来年は中学校に入学だね。
この修了証は私が認めたという証し。
もう、君は子供ではないということ。
…でも、大人でもない。
ひとつ上のステップに成長するということさ。
私がプレゼントを贈るのはこれが最後になる。
サンタクロースがプレゼントを贈れるのは“こども”だけなんだ。
だから今回は特別な品を用意したよ。喜んでくれるといいがね。
最後にサンタクロースから君にメッセージを贈りたい。
おとうさん、おかあさんは君の事をいつまでも愛している。
その想いは永遠に変わらない、絶対に。
これを忘れずに感謝する気持ちを大切にすんだよ。
それでは、最高のクリスマスになることを願っているよ。
これからもずっと〇〇さんのことは見ているからね。
事前にわたしたち夫婦は「お兄ちゃんはもう6年生だから今年はサンタさん来ないかも」という様なことは何度か、さり気なくにおわせておいたので「やっぱりか…」と言う様な表情で落胆していた。
しかし、その「修了証」とは別に小さなメッセージカードも入っていた。
カードには「寝室に行ってごらん。うふふ」と書いてある。
サンタの意味深なメッセージに少し驚き、階段を急いで上がり、恐る恐る寝室のドアを開けた。
部屋に入ると、真冬に開いているはずのない窓が開いており、レースのカーテンがパタパタと冷たい風になびいている。
「もしや、サンタが来たのか…!?」
普通に考えると空き巣に入られたみたいで、ちょっと怖いのだが、メッセージカードの複線のおかげで、子どもたちは完全にサンタが来たと信じ込んでいる。
そして枕元を見ると、プレゼントらしきものが!?
慌てて包装紙を開けてると、なんと息子が欲しかった妖怪ウォッチのゲームソフトが!
そのプレゼントを見た瞬間、息子は号泣!!
諦めていたプレゼントがもらえたのと、先ほど読んだ「修了証」のサンタのメッセージに内容が入り混じった、本人もよく分からない嬉しさなのか悲しさなのか複雑な涙なのだろう。
その姿を見た私と妻も胸がジーンと熱くなった。
涙涙のラストクリスマスとなった。
子どもから大人へ
翌年からは小学生の娘だけに、サンタはプレゼントを置いていく。
中学生の息子にはメッセージカードだけが置いてある。
そのメッセージには
「いつも見てるよ!」
「部活がんばっているね!」
「学校生活楽しんでね!」
という内容のものが書かれている。
サンタから卒業したクリスマス
子どもにとってこの終わり方が良かったのかは分からない。
長年のあいだ喜ばせていたつもりが、結果的に騙し、悲しくてつらい思い出になったかもしれない…。
中学生になっても息子はサンタクロースを信じていた。
それとも、すでに全てが分かり、わたしたち親に気を使い「信じているフリ」をしているのかもしれない。
彼が将来いつか結婚し、親となったとき、わが子にはどうするのか。
わたしたち夫婦が今回行ったことが、良かったのか、そうでないのかの答えがわかるのかもしれないなぁ。